長編
□destiny lover
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第二部
ここ最近、叔父である弁慶がやけに機嫌がいい。
何でも社交界で知り合ってからずっと焦がれていた女の子…確か望美という少女に想いが通じたらしい。
あの弁慶がここまで一人の女にのめり込んだことがあっただろうか…いや、ないな。
いつもどこか冷めているような面をしていた奴が、別人のように穏やかな顔をするようになった。
あの弁慶をそこまで骨抜きできる女…興味が湧かない訳は無い。
この邸にその内連れて来ると言っていたが、なかなか連れて来ない。
どうやら、あまりに溺愛するあまりに他の男に晒したくないみたいだ。
そこまでして隠されると逆にどんな女なのか気になるのが男ってものだろう。
いつもの様に望美という少女に会いに行く弁慶を興味本位でこっそり後をつけた。
聡い弁慶が、後を付けられていて気が付かないなんてよほど浮かれているということだ。
「…どこまで行くんだよ…」
後を付けたのはいいが、随分の距離を歩いていく。
てっきり馬車にでも乗って、その心奪われている女の邸に行くのかと思ったが歩いてどこかに向かっている。
恋人となったのだから、外でデートというわけか。
しばらくすると大きな広場のある公園に着いた、どうやら弁慶が先に待ち合わせ場所に着いたらしく望美という少女はまだいない。
袖を捲り上げて腕時計で時間を確認しながら弁慶はどこか嬉しそうに笑みを見せていた。
からかってやろうかと思って後を付けたけど、さすがにそんな弁慶を見ているとそんな気が失せてしまった。
ここまで来て時間の無駄になるけど、邸に戻ろうと思った…その時。
「弁慶さんっ…!ごめんなさい、遅れてしまって…」
紫苑の美しい長い髪、翡翠の大きな瞳に長い睫毛、スラッとした華奢な少女だった。
歳はおそらく俺と同じぐらい…あれが弁慶の…。
確かに可愛いらしい子だとは思ったけど、あれぐらいの容姿の女なら貴族の中にでもいくらでもいる。
「いいえ、僕も今着いたところですよ。…望美さん、こちらへ…」
「えへへ…はい」
二人はそれが当たり前のように視線に寄り添って手を握ると、近くのベンチへ腰を下ろした。
どんな会話をするのだろうと、茂みにこっそりと隠れて聞き耳を立てた。
聞こえてきたのは本当に些細な日常の会話。
昨夜の晩御飯のメニューの話や、近所に美味しいと評判のレストランが出来たなど、他愛も無いもの。
(……くだらねぇ…帰るか…)
何か面白い話でも聞けるかと思ったが期待はずれだな…と、いい加減に帰るかと思ったヒノエだったが不意に入って来た光景に思わず目を奪われてしまった。
「弁慶さん……んっ…」
弁慶と望美の、所謂ラブシーンというものだ。
別にヒノエにとって口付けなんて見ても照れるようなものではないが、そのラブシーンの配役は叔父である弁慶とその恋人である少女だ。
嫌でも、目に入ってしまうものだ。
ここはどこだかわかっているのか、昼間の公園だ。
子供づれの親子が目立つこの場所で、よくそんなことを堂々すると呆れるような気持ちだがヒノエ自身も余り人目は気にしないので人のことは言えない。
「もう…弁慶さん…人がいるのに…こんな…」
「君があまりに可愛いから我慢できなくなってしまいました」
「っ…!もう、もう!」
「ほら…そういう反応をするから…また我慢できなくなってしまったじゃないですか」
ちゅっ
再び弁慶は口付けを落とし、望美は初々しく真っ赤に頬を染める。
二人が想いを通わせて、すでに三月は過ぎようとしているが未だに望美は口付けにも慣れない。
そんな初々しい望美が可愛らしく思う弁慶だが、そろそろ口付けぐらいは慣れてほしいところだ。
最終的には望美を妻にしたいとはっきりとした考えを持っている弁慶と、まだ恋人としてゆっくりと進んでいきたいと思っていて未来のことまで考えていない望美とでは少しすれ違いも生じる。
もちろん性急にことを進めてはいけないと、弁慶は望美のペースに合わせて健全なお付き合いをしているというわけだ。
「ねぇ…望美さん。今から、僕の邸に来ませんか?」
「え…?」
「僕の甥っ子がですね、君に会いたいとうるさくて…」
「甥っ子さん?」
「僕の兄の息子なんですけどね…生意気な甥っ子ですよ」
茂みで隠れて聞いているヒノエは「あんたに言われたくねーよ」とぼそっと呟いた。
望美は自分のことはよく弁慶に話すが、弁慶はあまり自分のことを話してくれないのでこうして身内の話を聞いたのも初めてだった。
「弁慶さん、お兄さんがいたんですか?」
「ええ…まぁ」
本当はもっと詳しく話を聞いてみたかった。
しかし弁慶の顔が少し、ほんの些細な変化だったが曇るのを望美は見逃さなかった。
どうして兄がいるのに跡取りが弁慶なのだろうと疑問が湧いたが、何か事情があるのだろうと深く話を聞くことはしなかった。
そんな望美の様子に、弁慶は申し訳なさそうに苦笑した。
「…何も聞かないんですか?」
「弁慶さんが自分から言ってくれるまで聞きません。…私は、無理に話を聞き出すんじゃなくて…待ってあげたい、話してくれるまで…」
「ありがとう…」
弁慶はそっと望美の肩を抱き寄せて、優しく包み込むように抱き締めると額に口付けを送った。
「…行きましょうか、僕の邸へ」
「はいっ」
しっかりと手を繋いで歩いていく二人の姿を見送り、ヒノエはやっと茂みから身を出した。
早く帰らないと弁慶と望美が先に邸に着いてしまう、ヒノエは裏道から小走りで邸へと戻った。
何とか弁慶達よりは先に戻ってこれたようだ。
いや、あの二人の様子では当分は邸に着かないかもしれない。
お互いがお互いのことしか見えていなくて、近くにいるだけでも甘い空気に包まれてしまいそうなそんな空間だった。
ヒノエにとって叔父の弁慶は、女にうつつ抜かすような男ではなく、寧ろ仕事に生きて一生独身でいそうなそんな男だった。
妻を娶っても、それは世継ぎを残すためだけ。
そう思っていたが、さっきヒノエが目の当たりにした弁慶は今まで見たことのないような彼だった。
「あんな顔すんのか、あいつ…」
弁慶が望美に向ける顔は、愛しいと隠すことなく惜しみなく表に出していた。
今まで弁慶が付き合った女性はそんなに多くはないが、決して少なくもない。
その中で、今まで彼にそんな顔をさせて女性は一人もいなかった。
「望美…ちゃん…か」
俺と弁慶には似ているところがある。
容姿はあまり似ていないが、もっと中身の所で…。
ただの叔父の恋人に対する興味、初めはそうだった…初めは…。
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