暫時を唄う御伽噺

□幸せのための残酷さよ
1ページ/2ページ

 ―――ぎゅう。ぱっ。ぎゅう。ぱっ。
 庭の中で、握っては放し、握っては放し。右手の平にある方印を、幼い眼がじいっと見つめる。
 今日も、これのせいで、兄ちゃんとギクシャクした、と。自分と違い方印を持たない兄の強張った顔を思い出し、泣きそうになる。
 涙が零れそうになったのを腕を押しあて力づくで止めると、そのまま数十秒間、何も考えないようにして固まる。
「良守君」
 どこからか名を呼ばれ、ビクッと肩を竦ませて良守は周辺を見渡した。
 四方八方が暗闇に包まれており、月明かりだけが微かな光を与えてくれている。その微々たる明かりで、いるはずの誰かを見つけようとする。
「そんなに探さなくとも、私はここに。君の目の前にいるよ」
 笑いながら説明され、良守は己の前方を凝視した。
 すう……と、前触れなく人影が現れ、良守は驚き口を押さえた。質の悪い霊なら結界術で滅すればいいが、良守の感覚は目の前の存在が危ないものとは告げない。
「だ、だれ……!?」
「あぁ、……まずは自己紹介だね。私は間時守。聞いた事くらいなら、あると思うんだがね」
「はざま、ときもり……」
 祖父のつまらない話に出てきた、自分がいま学んでいる結界術を作った人の名前。
 どういう人なのかは、知らない。
 目の前にいる人が、その人だと言う。
「君を迎えに来たんだ。―――少し、難しいお話をしようか……」
 月明かりに照らされただけではない、ぼんやりとした光に包まれている間時守という人を見て、良守は兄ちゃんみたい、と思った。



幸せのための残酷さよ



「お疲れ様です。時守様」
「……守美子君」
 冷淡さを漂わせる美女が時守にそっと近付く。その表情は冷たいまま、満足げだ。
「……君がいった方が、簡単に承諾してもらえたのではないかな」
 何を、なんて訊ねるほど守美子はバカではない。
「私が時守様と知り合いだと分かれば、きっと良守は、甘えますから。それではタメにならないでしょう? そうそう、時守様は、何と言って良守を口説いたんですか?」
「くど……ハァ、」
 何てスパルタで、自由奔放な女性だろう。
 時守は自分すらも付いて行けないと思う事がままある女性と結婚し、子供もちゃっかり三人目まで作った男性はなかなか強いと思えた。
「烏森に妖が来ないようにしたくはないか、方印をなくしたくはないか、雪村の者や兄と仲良くなりたくはないか、烏森の人たちを守りたくはないか、等など……」
「まぁ単純。我が子ながら、それだけで知らない人に付いていくなんて。利守は、修司さんにしっかり危機感・警戒心も育んでもらわないと」
 母親も一緒になって育むべきだろうけどね、とは口が裂けても言えない。
 しかしこんなに自由で子供も放ったらかしの人でも、子供に対する愛情は本物だろうし、本当は悲しさを隠すためかもしれないと勘ぐる。
「兄と少しぎくしゃくしていた様だから、気持ちが沈んでいたんだろう。それより、すまない。君の子供を、犠牲にしなければならないとは……」
「仕方ありません。だってそれが、良守のお役目ですもの」
「………………」
 少し口を閉じるが、最高の術者と自負している自分が次元が違うと認める術者、悟られぬよう心を閉ざすことくらい造作もないはず。
 きっと、多分、おそらく、あるはずであろう愛に期待しておくことにした。
「……犠牲はまだ先の話とは言え、小学校はどうしようか」
「良守には算数も、国語も、理科も、社会も、使う機会なんて訪れないから良いんです。精々、道徳くらいですよ。道さえ誤らなければ、あの子の人生は無事に終わります」
「…………まだ幼いのに、家から離してしまって。もっと家族との想い出を作ってあげれたらいいのだけどね」
「幸せな記憶はない方が、良守のためにもなりますから」
 少しでも幸せな記憶があるからこそ、守りたいと思っているのではないのか、と問いたくなった。
 だが口に出せば責め口調になるのは分かっており、自分にはそんな資格はないと思っている時守は、肯定することなく沈黙した。


 間時守が良守を迎えに来た日から、良守の修行の日々が始まった。
 妖が集まらない様にできる、時音や兄と蟠りなく仲良くなれる、何より大切な人たちを守れると言われれば、頑張らない訳にはいかない。
 良守は極めて単純だ。
 単純だからこそ、真っ直ぐで明快な意志は強い。
 守るために少し離れるだけなら、頑張れる。それも海外や地球外へ旅立つわけではなく、近場での修行になるから、良守はすぐ側に大切なものを感じながら修業ができた。
「良守君。君には、烏森の地を封印してもらう。そのための修行だ。時間はまだある、少しでも強い力が身に付く様、一緒に頑張ろう」
「うん!」
 良守は笑顔で答えた。時守も微笑んで頷いた。
 時守は会って間もない相手だが、決して怪しい人間ではないと思ったし、妙な安心感があった。
 良守は実家での生活も、小学校に通う生活も投げ出し、修行と夜(の妖)だけの生活を何の抵抗もなく始めていた。


 良守が12歳の誕生日。
 式神を利用して買ったケーキを贈り、目前の少年の目が輝いているのを見てから、気付かれない程度の溜め息を吐く。
 墨村では良守はどういう扱いになっているのだろう。兄である正守や他の家族は何を思っているのだろう。そんなことを考えながら、時守は何年もの間、良守と生活してきた。
 その間、良守の想いは変わるどころか増し、修行に明け暮れていたからか、術のレベルは飛躍的に上がっており、また無想も体得していた。
 が、それでも真界は、完全に体得することができていない。後に良守が受ける大きな影響を踏まえて考えると、油断はできない。
「良守君。君には今、真界の修行をしてもらっているね」
「おう」
 ケーキを頬張りながら、うんうんと頷く良守。
 時守はこれまでも、これからも、少しずつ少しずつ烏森について話す。最初から核心を伝えることもあれば、ちょっと歪ませて伝えたりもする。
「烏森には幼い殿様が眠っているんだが、殿はとても退屈が嫌いな方でね。実はその殿が、君を気に入ってるんだよ。そんな君に、真界で殿のための世界を作ってほしい」
「世界?」
「何百年何千年何万年と経とうとも、退屈しない、最高の世界をね」
 そんな過激にして精密な真界、それも尋常ではない力を完全に封印するほどの強度の真界、人間がまもとに発動して無事なはずがないのだが。
 未成熟な身体と精神で、世界の完成に至るかどうかも、賭けだと言うのに。
 夢にまで見たような幸せのためにひたむきに頑張る少年を前にして、殿のために犠牲になってほしいなんて、言えるはずもなく。
「……それと、いつか殿と遊んでほしいな」
「お殿さまと?」
 効率のみ見るならあまり必要性はないと思えたが、人と触れ合うことができない我が子に少しでも、好きな人と遊んでほしい。それは親としての、本心であった。
「そう、殿と。殿が君を好いているのもあるが、君自身、殿とはきっと気が合うと思うよ」
「そっかぁ! えーと、烏森を封印すると、そのお殿さまももう退屈しなくてすむ?」
「君の技量次第、だけどね」
「ふぅん……。よっし! じゃあそのお殿さまってヤツがあっと言うような世界作れるように頑張るか!」
「……ありがとう」 
 我が子のために、他人の子を犠牲にする―――。
 それもこんなに優しい子を―――。
 本来なら到底許されることではない。自分自身、ほとほと残酷だと思っている。
 しかしこの機会を逃せば、間に合わなくなる。今までの時間で不幸にしてきた者を思えば、人一人の命で済むのなら、なんて、言い訳にもならない最低な文句すら思いつく。
「ありがとう……」
 自己嫌悪しつつも時守は、我が子が他人に想われてる事実に、もう出ないはずの涙が出そうな錯覚に陥った。


「間幸守! 我ながらばっちりだ!」
 意気揚々と時守が声を張ると、良守はぽかんと口を開けて見上げた。
「良守君」
「へ?」
「私たちといる間は良いんだが、外に出たとき、偽名で生活してほしいんだ」
「偽名?」
「生活する上で、君の存在が漏れる可能性は低くしたい。家系なんかも、全て偽るからね。名前が一緒だとばれる可能性が高くなる」
 良守は首を傾げ、現状を把握する努力をした。
 まずは、質問することから始める。
「生活って、オレ、外に出んの?」
「ああ、中学校だよ」
 ちゅう、がっこう。
 確めるように、良守が呟く。小学校を通わなかった良守にとって、学校とは、久方ぶりの響きであった。
「そう。少しの間になるけれど、通おうと思えば通えるよ。どうする? 個人的には、烏森を少しでも近くに感じて、後のために僅かでも感覚を掴んでほしいというのもあるし、賛成なんだが」
「……でも、勉強……」
「そんなもの、どうにでもなる。学びたければ、私が教えることも出来るし……まぁ、近代の精密機械の扱いには自信はないけど。それに今のご時世、中学までは義務教育だって言うじゃないか。通って然るべき場所だ」
 本来なら、通わなければならない場所で。通わせなかったのは、時守自身と、母親の守美子だ。
「……烏森の、中学校……」
 良守の仄かな期待が、時守には分かった。雪村時音。その存在は、良守にとってお菓子の城と同じくらい魅力がある。
 返事がどのようなものか、容易に予想がつく。
「どうやら、通う方向で良さそうだね?」
「うん、うん! 通う!」
 時守に飛びつきそうな勢いで顔を赤くして激しく頷く良守に、ほんのり和んだ笑みを見せる。
「じゃあ、君は中学校周辺にいる間は、『間幸守』だ」
「はざま……ゆきもり?」
「さっき言っていた、偽名さ。名字の間は私のものだが、名前の意味だってちゃんとある。『みんなの幸せを守る』。どうだ?」
「…………っ!!」
 良守の表情が、一気に明るくなる。花が咲いたような、命の輝きも纏った、希望の笑み。
 また一つ、良守の意志を強く固くするものができた。
 大はしゃぎする良守を父親のような眼差しで見つめながら、時守は残酷だな、と小さく零した。


 幸せのための残酷さよ。
 この世はなんて無慈悲だろう。

 元凶であるこの私が、犠牲にする者の幸せを祈る姿は何と滑稽な。

 幸せのための残酷さよ。
 その残酷さが、同時に訪れた幾つかの幸せで有耶無耶にされれば良いのにと、夢にもならぬことを思い描き、瞳を閉じた。



―終―
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ