暫時を唄う御伽噺

□かざみち
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 吹き抜ける風
  その風は運んでくる


かざみち


 吹き抜ける風。
 子供は小さく手を広げ、その風を撫でた。
 柳に風、か―――穏やかな表情に優しい微笑みを浮かべた。

「ミルダ……どうした」

 ミルダ、と呼んだ子供。
 もちろん『ミルダ』はファミリーネーム。
 その子供は微笑んだまま、しかし寂しそうに振り向いた。

「リカルド、あれから呼んでくれないね。『ルカ』って」

 名前はルカ。
 あれから、とは一度だけ呼んだその時から。その時から一度も呼んでいない。
 嫌いではない。むしろ好き。否、愛している。だからこそ、

 好きになればなるほど、愛しく思えば想うほど、……恥ずかしさが増してしまう。
 何度、『ルカ』と名前を紡ごうとして、しかし曖昧に掻き消したことか。
 己の勇気の無さに、弱さに、不甲斐なさに、驚きながらも心の中で叱咤したことか。

「これから大変だね……リカルド」
「そうだな……」

 ―――ルカ。
 呼ぶのは心の中だけで。
 口にすると何かが溢れてしまいそうで、

「リカルド……これからも、一緒にいてくれる?」
「、もちろんだ」

 不安げに見つめてくるその目。
 マティウスは言った。ルカは「迷いの心」だと。
 心が、信じるか疑うかで迷っている。それで正しい。

「うん、だよね。リカルドは、ずっと、いてくれるね」

 それでもお前は俺を信じる。
 俺を信じて自身を疑う子供の背中は、酷く小さく、
 あの戦いを乗り越えられたとは思えないほど儚い。

「ああ、側にずっといる。……お前が嫌と言うまでな」

 ああ、俺はもう、裏切らない。
 誰かのためだとか、言い訳しない。
 お前の信頼に、応えてみせる。

「そんな、言わないよ。ううん……言っても側にいて。違う光に目移りしそうだったら叱って」
「ふっ……そうだな。俺以外に心奪われたなら強引にでも奪い返してみせる」

 子供はまた笑う。
 自分でも青臭いと思う。だから恥ずかしい。
 途端、風が少しだけ乱暴に舞った。

「風が……随分時間も経った。……もう戻るか。行くぞ、」


 風の魔力か、
 己の勇気か、
 心が溢れた。


「―――ルカ」

 後ろで花の綻ぶように微笑んだ気配がした。
 言うつもりはなかったんだがな……
 この溢れた心、どうしようか。何故か恥じらいがちっぽけな気がしてきた。


 ぶわり

 吹き抜けた風
  その風は運んできた

 運ばれた何かを、大切にしよう



 ―――風の通った道は、春の香りがした
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