暫時を唄う御伽噺

□求めるものは
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 僕の足元には鮮血が。
 僕の眼下には肉塊が。

 その視界は溺れるように濡れていた。
 僕の頬には生ぬるい涙が流れた。



求めるものは



 デュランダルも、イナンナも、僕にとって大切な存在だった。
 僕の魂は、アスラのものだから。
 だけど兄であるマティウスには真逆の存在らしい。
 彼の魂は、魔王のものだから。

 夢の共有も、家族との関係も、永遠に続くと信じて疑わなかった僕は、マティウスの豹変に心が追いつかなかった。
 マティウスの執拗な憎悪と怨恨にまみれた言葉を聞き、マティウスの変貌の理由は解ったものの、それでも認めたくない気持ちが強かった。

 こんなマティウスは嫌だ。
 だけど僕のこの辛さをマティウスの所為だなんて言えない。アスラの所為だとも言いたくない。
 だからと言って、前世でアスラを裏切ったイナンナとデュランダルの事を責めたくもない。
 マティウスは前世の記憶で苦悩しているのに僕だけがアスラの幸せを感じる事への罪悪感、現状への苦しさから、僕は独り、アルカを離れた。

 マティウスは追って来なかった。僕がどんな道を辿るのかを知っているように、僕を自由にさせた。
 自由にさせられた僕は途方に暮れていた。あの辺その辺この辺をふらふらと歩き、時間の流れを待った。
 マティウスの凶行を止めたい気持ちはあるけれど、マティウスの冥い気持ちも解るような気がして、さらに言えば止めるほどの勇気なんて僕にはなくて、力を持て余した。

 そんなある日、イナンナ、デュランダル、オリフィエル、ヒュプノス、ヴリトラ(とミュース)と出会った。

 とは言っても、それらはあくまで前世の話であって、現世の名前・容姿はちゃんとあった。
 僕の前世の記憶にぴったりと当てはまる人物像に、僕は安堵すら覚えた。
 マティウスが語る前世には違和感ばかりが積っていて、共感する事ができなかったからだ。
 

 彼らは遠回りをしながらも、マティウス打倒が最終目的となっていた。
 マティウスに剣を向ける事ができない僕は勇気ある彼らに尊敬はしたが、家族の悪口を聞くのは心地よくはなかった。
 彼らの中で、特に親しかったのはデュランダルの現世、スパーダだ。

 最初は苦手意識を抱いた。やたら突っ掛かって来て、どう対処して良いのか分からなかった。
 だけど彼らの内一人が、戸惑う僕にこう囁いた。
『スパーダ君ね、ルカ君に気があるのよ。だからあんまり、突き放さないであげてね』
 突然そんな事を言われれば、急激にそういう風に意識してしまうもので。
 マティウスにもよく、僕は一度意識すると突っ走る気があると言われた。
 そんなこんなで友達以上の関係になった僕たちだったが、同性愛に疑問を感じはしなかった。
 ただ、マティウスが以前のマティウスだったならどう言っただろうか。同性愛に良い顔をしなかっただろうか。僕に恋人が出来ることを嫌がっただろうか。

 今ではもう絶対に戻る事ができない昔のマティウスを思い出して、僕はひっそりと微笑んでいた。


『お前さ、一人旅なんてしてどうしたんだ? 双子の兄貴が、いただろ?』

 その言葉に、僕の動作は停止した。呼吸も止まりそうだった。
 視線を宙に彷徨わせて、ベッドの上で身体の向きを左へと(スパーダのいない方向へと)変えた。
 全ての人間の僕たちに関する記憶はマティウスによって消されているはずで、僕の過去を知る人はいていいはずがなかった。
『……どう……して……』
 途切れ途切れにそれだけ言葉を吐き出すけれど、スパーダにはその億劫さが分からなかったようだった。
『確かお前の兄の名前って……』
 続きを紡ごうとするスパーダの言葉が止まる。スパーダを包む空気が、徐々に驚愕に染まっていった。
 ……僕と深く接した事で、普通ならば思い出すことのない記憶を思い出してしまったのかもしれない。
 きっとそうだ。だってそうでなければ、何の前触れもなく僕の過去に突っ込んできたことは可笑しい。
『マティウスって……―――』

 それ以上は、続かなかった。続けさせなかった。
 本当に咄嗟だった。
 一瞬の反射、考えなしの暴挙、前世とは真逆の結果。
 床に伏したスパーダは、口をぱくぱくと動かして、何かを言いたげだった。
 それを聞かずに僕は、その場から逃げた。


 視界の邪魔をして頬を濡らす涙も拭かずに、歩みを進めた。
 マティウスがくれた愛剣には、鮮血がべったりと付いている。人を斬るために使ったのは一目瞭然。
 しっかりと握る剣から、無機質な冷たさが伝わってきた。
 その冷たさは、己の犯した暴挙は現実だと告げたが、僕はお得意の逃避に身を任せた。

 これは夢だ。現実のはずがない。
 これが夢なら、いつから夢だったんだろう。
 それはきっと、マティウスがイナンナの貌へと変化した時からだ。
 この悪夢はどうしたなら、終わるのだろう。
 それはきっと、マティウスの望む結末に無事に辿りつけたときだ。

 天地開闢―――僕の頭にはふと、その言葉が浮かんだ。
 アスラの目的は天地創造だったけど、全て無に還して零からやり直すのはどうだろうか。
 マティウスの望む、ただの永遠の破滅じゃない。初めに戻す破滅は。

 それは、ありだ、と思った。
 決まった。僕の願い。僕の求めるもの。
 初めからやり直そう。何もかも。

 そうすれば、マティウスと、ずっと兄弟でいられるかもしれない。
 そうすれば、スパーダと、ずっと友達以上でいられるかもしれない。
 そうすれば、彼らとも、ずっと親しくしていられるかもしれない。

 ありえない妄想を抱えて僕は、マティウスがいるであろう場所に向かった。
 血まみれの剣を引きずりながら。

 僕の願いは、マティウスに、スパーダに、世界に受け入れてもらえるのかな……?


END

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