【DS】TEXT

□静閑の朝
1ページ/1ページ

静閑の朝



 4月上旬。

窓から射し込む朝の陽に、鬱陶とした。
しかし1階に降り、視界に従弟を認めると、その不快さもどこかへ飛んでしまう。
「おはよう、恵乃」
「うん。おはよう、ナオヤ」
 ナオヤの声で、キッチンに向いていたアヤノが振り返る。笑んで返事をするアヤノの後ろからは、小さな音が聞こえる。
「鍋が噴くぞ」
「えっ?」
 ナオヤの忠告でアヤノは慌てて身を翻す。火加減を調節すると、首元に手をやり何かと格闘しだす。
 今日、入学する高校の制服を着ているアヤノ。一番上が留められず、手間取っているようだった。
「新しい制服、キライ……」
 指を縺れさせているアヤノを見るに堪えかねて、ナオヤが手を貸す。器用に留めたナオヤを見て、着慣れない制服に文句を零した。
「……幅が合わないのは仕方ないか」
 アヤノの身体を、制服の上から軽く触れる。丈は一応合っているが、痩せているため触れるとがばがばだ。
「太る?」
「止めておけ」
 頼りない表情で覗き込んで来るアヤノに、ナオヤは頭を振った。下手に「よし太れ」と言うと、とんでもない行動に出るかもしれないからだ。
 ナオヤが言うなら、とアヤノは納得する。
 身体から手を離すと、ナオヤは覗き続けているアヤノの頬にキスをする。そしてアヤノも背伸びをして、少しだけ屈んだナオヤの頬にキスをした。日本では滅多にない挨拶。それが2人の間では、当たり前の行為だ。
 挨拶も終え、ナオヤから離れたアヤノは少し不満足そうだった。
「全然、背がとどかない……。ナオヤ、縮んで?」
「無茶を言うな。お前もその内、伸びる」
 背の低さを悔しそうに再認識しているアヤノに、無難な慰めの言葉を掛けてナオヤは小さく笑う。

 自分にちょっとでも追い付こうと頑張る姿は微笑ましい。勉強やその他の事においても、ほんの少しでも理解したいという一心で奮闘する姿が愛おしい。

 思わずナオヤは悦に浸る。
「ナオヤ? ……朝ごはん、用意するよ? 少し待ってて」
 何故かは分からないが、ナオヤは今、嬉しいらしい。
それだけ理解したアヤノは、ナオヤに釣られて嬉しそうにしてから、終わりかけていた朝食の準備を再開する。
「……悪いな、入学式」
 先に席に着いたナオヤは、突然謝った。
「え? あぁ……ううん。ナオヤの時だって、だれも行かなかったし、いいよ。それにナオヤ、来ても、フキゲン」
 食卓に朝食を並べながらアヤノはからかうように、やんわりと笑う。
 今日の入学式に、ナオヤは行かない。好奇心の目に当てられると、機嫌は急降下する。ナオヤの他人嫌いを知っているから気遣ってのことだ。
 アヤノは入学式に保護者が来る感覚を知らない。だからナオヤが来なくても、それはそれで自然なのだ。少しだけ期待していた分、残念な気持ちもあったが。
「しかし、お前の方が何かと面倒だろう。……本当なら、電車通学も反対なんだがな」
「またそれ。大丈夫だよ」
「お前が自分に使う『大丈夫』は当てにならん。無理だと思ったら隠さずに言え」
「うん……ありがとう」
 今はまだ、2人にしか理解できない会話。
 余計な音が一つも聞こえない、静かな朝。
 自分も席に着きナオヤと向い合ったアヤノは、静かに笑みを浮かべた。


 2人だけの、静かな世界。



end

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ