中編

□void eternity 3
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 最近、テレビで見かけること。母国の話。ジャパンがどうだとかこうだとか、こんな大国からしたらひどくどうでもいいことじゃないのかな。ホットミルクを飲みながら、ハイスクールへの支度をしていた。
 私からすれば、どうでもいいのやらそんなことはないのやらよくわからないのだけど、近年、日本のシュショウさんとアメリカのダイトウリョウさんという方たちは不仲であるらしい。一国の頂点に立つ人がケンカだなんて、彼らも人の子なのだ。そんな他人事極まりない考えを尻目に、私も家を出ようとした。お世話になっているホストファミリーのママは、そんな私の手を止める。
「ナマエ、大丈夫?」
「ママ?」
「スクールでつらいことがあったら、言うんだよ」それが、いらぬ冗談だ。
「何言ってるの、スクールはとっても楽しいよ」
「……そう、それならいいんだけど」
 ママは心配症なのかもしれない。私はこんなにもスクールに行くことが楽しみで仕方がないというのに、それでも私の顔色を覗き込む日課がある。血の繋がりもないアジア人にくれてやる愛情にはいささか出血がすぎるサービスのような気がするけれど、ママがくれるんだ。私は感謝だけしよう。
「ありがとう、ママ」
「もちろんよ。ママはいつでもナマエの味方だからね」
「うん、なにかあったら一番に言うよ。それじゃあ、行ってきます」
 ママに手を振って、私は家を出た。今日も天気がいい。靴音を鳴らす私に、アメリカの空が笑ってくれている。これで十分だ、これ以上に求めるものなんてなにもない。クラスメイトは、私をジャパニーズとして見ているわけではない。私をナマエとして見てくれている。だから、疎外されることもないし、ましてや虐げられることもない。日本の陰湿ないじめとやらは、この地に馴染まないようだからノーセンキューだ。晴れやかな日差しに焼き消してしまえ。
 スクールへ向かっていると、自分の名前が呼ばれて顔を上げた。アメリカでは珍しい和名に聞き間違いはなく、クラスメイトの女の子が私に手を振っているのが見えた。彼女は今日の快晴に負けないほど眩しい笑顔をサンサンとはじけさせている。私はその太陽へと駆け寄った。
「おはよ、ナマエ! いい天気ね」
「本当。日本から持ってきた傘なんて必要ないね」
「アラ、いいことじゃないの。そういえばナマエ、数学のホームワーク、やってきた?」
「やってきたよ」
「あれ、最後の問題が難しかったわよね」
「そうそう! 解くのにすごく時間がかかっちゃった」
「私も! でも解けたときは気持ちよかったわ」
「うんうん、それとってもわかるよ」
「まっ、ナマエは困ったらダーリンに聞けばいいんだけどねえっ」
「そ、そんなこと……! 私だってひとりで解けるんだから!」
「フフ、アルヴィンがナマエを心配するの、わかる気がするわ」
「もう、からかわないでよ」
「ごめんごめんって。さあ、スクールに行きましょ。で、アルヴィンとはもうどこまでいったの?」
「……人の話聞いてた?」
「いいからいいから!」
 にっこり微笑むクラスメイトに、私は呆れてしまう。レンガ道を二つの足音がカタカタ揺らして、一歩ずつ目的地に向かった。いつもはああだとかこうだとか話しながら行くわけだから、そのいつも通りに彼女は会話を繰り広げていく。−−言うまでもなく、アルヴィンのことを。彼女は意地悪そうに顔をにたつかせながら私とアルヴィンの話をせがむのだ。金髪に赤い瞳、黙っていればこの上なく綺麗な子なのに、恋煩悩の彼女は自分のものだろうが人のものだろうが、ラブトークならなんでも食べてしまう。まあ、他人の不幸を蜜とばかりに舐めるよりかは断然いい性格なのだけれどね。私はこうして恥ずかしさに足元のレンガに助けを求めて下を向くのがきまりになっていた。
 やがて、清々しい顔をしたアメリカンガールと俯いた赤い顔のアジアンガールがスクールに姿を現す。シューズボックスに立った私たちを見て、クラスメイトは「まあたナマエをからかったんだな」と私に無言の労りを乗せていくのだ。中には、苦笑を浮かべて通り過ぎるクラスメイトもいるわけで。私と彼女の関係図に他人が入る隙はないのだと、つくづく頭を抱えるのです。
 さあ、そんな場面でリーディングも得意な彼が空気を読んだのか、はたまた読んでいないのか。私たちに挨拶をしてきた。「グッドモーニング」と片手を上げて。彼はスポーツマンだからか、その腕は私より太く、筋がたくさんある。なんとなく目を背けてしまった。
 ここで黙っていないのが隣にいる彼女。「ナマエ! いってらっしゃい!」と赤い瞳をキラキラ、いいえ、ギラギラと煮えたぎらせて私を彼に放り投げるがごとく押し付けた。さらにはアルヴィンにウインクを送るおまけつき。ちなみに、押し付けられた彼は呆気にとられていて、彼女の意図はこれっぽっちも伝わっていない。
「ヘイ、ダーリン! ハニーをエスコートしてあげなさいな!」
「エスコートって……ここはスクールだぞ」
「フフ、どこにいたって恋人がそろえばダーリンが頑張るものよ」
 やはり、彼女はどこか恋煩悩すぎるところがある。「チャオ!」とクラスルームへ逃げていった彼女の後ろ姿は、なんだか花が咲き乱れているくらいに幸せそうで、私たちの邪魔をしないことへの自己肯定に溢れていた。これに水を差すようなマネをすることこそ、邪魔であるような気がするほど。
 彼女の後ろ姿を見つめながら、アルヴィンは呟いた。何って、私の名前だ。
「……アイツ、気を遣ってくれたのかもしれないな」
「なにが?」
「スクールであろうと、ナマエといればオレがエスコートしてやらなきゃ。そうだろ?」
「ええ、アルヴィンまで悪ノリするの?」
「悪ノリなんかじゃない。さあ、クラスルームまでのデートと行こう」
「……ほんの二分もない距離でしょ」
 が、そのアルヴィンですら彼女の冷やかしを躱さずに受け止め出したという。これでは、名の知れたカップルが場所を問わず恋着し始めたと周りの生徒が私たちから距離を置かれてしまう。アルヴィンと一緒にいられるのは嬉しいけれど、たかたが二分ほどの距離のために、山越え谷越えても遥か彼方の距離を友人から作られるのも抵抗があった。
 アルヴィンの隣から一歩離れると、彼は眉を顰める。対照的に私は笑っていた。だって、不謹慎だけれど、私が離れたくらいで不満そうな顔をするアルヴィンが可愛いんですもの。なにより、彼女としてこれほど嬉しいことはない。
「今はダメ。……ふたりきりの時に、ね」
 ほんの一歩、腕の長さほどの遠さから彼の耳へ小声で囁くと、その表情は驚いたものに変わった。さっきまで歪められていた口や青い瞳は丸々とした姿になる。アルヴィンはパチクリと瞬きしたのち、子供のような微笑みで無邪気に言ってやるのだ。
「キミはまるで小悪魔だな」
 そして、金色の髪がユラリとアルヴィンの後ろで笑う。赤みが薄くさした頬にかかる。ほら、これだ。ついさっきまでまん丸であった彼の目がキュッと細くなる方が十分すぎるほど心臓に悪い。死神のように私の鼓動を自在に操ること、それをこの人はわかっているのでしょうか。互いの弱点は互い、ちょっとだけ音高く動き続けている中心に私も彼も、確かにいるのだと気づいてしまう。離れたはずの一歩の距離がもどかしく思えてしまうのだ。ひとえに頬を指で掻いている彼のせいに違いない。
 その指を動かしているのが私だとしたら、これほど光栄なことはない。私も彼と同じく頬を指で掻いた。
「照れたのか?」
「ううん、アルヴィンのマネをしただけ」
「……本当に、ナマエはオレを惑わせるよ」
「もう、スクールだよ。ここは」
「そうだな。ここはスクールだ」
 やがて、ふたりして同じ教室へ足を向ける。友達である彼女のアシストも虚しく、私たちはアメリカンカップルらしく腕を組むことも身を寄せ合うこともしなかった。ただ淡々と廊下を歩いていっただけ。きっと、クラスルームに着いてからは「ナマエ、どうだったの!?」とあの彼女が息巻いてくるに違いないでしょう。でもね、その期待に応えられない。「トークをしながら来たよ」「もうっ、なんでよお。せっかく私が気を利かせてやったっていうのにさあ」ふくれっ面の彼女を浮かべるのは困難ではない。しかし、彼は彼女ではなかった。
「どうした。考え事か?」
「うん、大したことじゃないけどね」
「ふうん。それならオレにも教えてくれよ」
「そうねえ、とってもハッピーだなって思っていたの」
「ハッピー?」
「うん」
「……何はともあれ、だ。ナマエがハッピーなら、オレも同じだよ」
「ふふ、簡単なハッピーね」
「ナマエ限定だ」
 もう目前にクラスルームが見えている。そこには、大好きなクラスメイトがいる。日本よりずっとカラフルで居心地のいい場所なのだから、私はやはり幸せ者だと思うのです。ヒノマルもないけれど、自由があれば不可能もない。隣を歩くアルヴィンの髪が足に合わせて揺れるのを見ながら、朝のハイスクールへ入っていくの。

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