中編

□void eternity 7
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 ぐるんぐるんと頭体をかき回され、ミキサーの中にいる果物野菜の気持ちがわかったような気がした。身体中が混ざり合って思わず口を覆ったが、覆ったのは吐き気に血色をなくした手ではなく私の服であり竜巻の乱暴狼藉に戦慄する。こんなところで服を剥がれ破廉恥の烙印を押されては嫁に出られなくなるより人前に出られなくなってしまうと私は藁にも縋る思いで腹が出かけた己自身を抱きしめた。ついでに藻掻き足掻いた。
 そうこうして竜巻と幾本勝負にも及ぶ長い空中散歩の末、着陸のアナウンスなどご親切なこともなく私は真っ逆さまに地上へ落ちていった。



 落下した先はあろうことかコンクリートの上。私はその硬い路上へ体育座りで奇跡的不時着を果たす。竜巻から猥褻を被りさらには死ぬかと思っていた矢先、九死に一生を得た。しかし、感傷に浸る間も無くして先ほどとは比べるにもおぞましい痛みが腰を襲い、しばしその場から動けなくなってしまった。
 激痛に囚われること以上に閑なことは見当たらないので、右や左やまた右やと一回転見渡すと、今度は夜の海に来てしまったらしい。広い海岸通りに清く正しい体育座りで佇む私を青く光る波が遠く同情した。ザザーッと声までかけてくれた。
 私は悲しくなった。何が悲しくて万年の床に伏せる風邪をひいたり神様のおエライさんに羞恥心を抉られたり竜巻様に蹂躙されかけたりしなければならないんだ。そのほか藻を襷にしたり竜巻にのったり、誰がどう願おうが体験できない出来事まで降りかかり、願ったり叶ったりの不幸を繰り返しているのだから、これには骨が折れた。骨が折れて動けなくなる方がまだ幸せを手にできるとは思いませんか? 私は寒夜の海へ涙ながらに呟いた。
 そこへ足音が近づいてきた。暗闇から聞こえる足音ほどおどろおどろしいものはない、息も絶え絶えかと思わしきゆっくりとした足取りの二足歩行だった。私は腰の痛みも忘れて身構え、己の命をも賭ける戦闘すらやむを得ない状態であった。
 しかし、音の主は見知った人だった。金髪でここから広がる海のような青い瞳、そして白い肌をもつ美しいひとだった。いつか私が恋した、アルヴィンだった。
 私は己の命をも賭ける戦闘も忘れて彼に歩み寄った。
「アルヴィン!」
 彼はひどく驚いている。
「ナマエ、なのか……?」
「そうだよ、ナマエだよ」
「どうしてここに……」
 彼の目が瞬く。言われてみれば、私とアルヴィンは海を挟んだ渡り鳥の飛行距離ほど離れていてるわけで、悲しきかな、彼とは出会うはずがない。
 しかし、竜巻に乗ったのだ。神様に会ったのだ。このご時世にてなにが起きてもおかしくないと言われたも同義でしょう。深く息を吸うと不思議と落ち着いた。
「久しぶりだね」
「ナマエ……どうやって来たんだ? いや、誰と来たんだ? それに何をしに……ま、まさか」
 彼の方がよっぽど慌てている。私は竜巻に巻き込まれた以上に嫌な予感がした。
「アルヴィン……?」
 そして、彼はあの縁結びの神様が最後に見せた目によく似た冷ややかな目をした。青色に恥じず、足元に広がる海とは対照的であった。冬の夜らしい瞳で私は思わず震えた。
 アルヴィンは躊躇なく壁を押すように私の肩を思いきり押して路上へ叩きつけた。背中から鈍い音と痛みが流れて声にならず呻く。「いっ……!」彼の顔が私に近づいた。
「ナマエ、答えろ。何をしに来たんだ!」
「何をしに来た……?」
「そうだ、ジャパニーズが来るなんて……何か企んでいるんだろ!? ひょっとして、あの留学もそのためだったのか!?」
「アルヴィン、落ち着いてよ! 何を言っているのかわからないよ!」
 彼はまやかしが乗り移ったかのように興奮していた。
「オレは、オレは……っ、きみを信じていたのに」
「信じていたって、どういうことなの!?」
「とぼけるな!」
 馬乗りになった彼の汗が私の頬に落ちてくる。
「ジャパニーズがオレたちを陥れようとしていることはわかっているんだよ!」
「な、なにを……!」
「きみだってその一人だろ!? なあ、そうなんだろう!?」
 彼の拳が躊躇いなく降ってくるのだから、私は転がりながらその拳を避けた。「いっ……!」と私が発したものとおよそそっくりな呻き声と血を握る手はこの身の毛を戦慄させることに十分効力を発揮した。彼の拳がここまで硬く恐ろしいものだとは思わなかったのだから。
「ナマエ、許さない……許さないからな」
「待って、アルヴィン! どういうことかさっぱりわからないよ! 私に説明して!」
「そう言って隙を作るつもりだな!?」
 彼の青い瞳が血走る。血眼と血肉握る手のせいで、その姿といえば人らしかぬ異様なものであった。赤鬼と青鬼が怒り狂ったようだった。長い金髪が揺れるたび、私の命は危機に瀕する。過去の恋人とは思い難い渾身の憎しみが振るわれ、また殴りかかった。
 このままでは死んでしまう。生まれてこのかた十数年、初めて命の灯火が消えることへ恐怖を覚えた。もうどこにも逃げ場はない、墓場はここかと思われた。
「お願い、話をさせて!」
「話すことなどあるものか!」
「わからないよ、なんであんなに優しかったアルヴィンがこんな……!」
「ジャパニーズは、オレたちを裏切った。それだけだ!」
「私はあなたを裏切ったりなんかしない! 信じて! これまで過ごした私との日々を思い出してよ!」
 今もなお止まることのない拳を避け、腕で守り、私は彼に語りかける。
 一度は愛した人と争うことなど、私にはできなかった。腕や身体にはすでに青痣が目立っている。命の灯火のロウがまたひとつ垂れた。そして私は震えた。
「お願い、アルヴィン……私はあなたを……あなたをっ、ずっと想ってる! 信じているの! 今でもあなたが好き! 大好きなの!」
「嘘だ!」
「嘘なんかじゃない! 目を覚まして!」
「ジャパニーズなんか……っ」
「私を見てよ!」
 不意に彼の拳が止まった。
「私の、私の目を見て……」
「…………」
「ね、アルヴィン……」
「ナマエっ、オレは……」彼は私の上から静かに立ち上がった。
「戻って、昔のアルヴィンに戻って!」
「…………」
「アルヴィンとの思い出、私の宝物だよ。だって、今でも大好きだもの! 日本人でもアメリカ人でも関係ない! あなたは、私の好きなアルヴィンなの!」
「……っ」彼は俯いた。
「アルヴィン、アルヴィン……! ずっと会いたかったの……好きだよ」
 壁にボールが当たるような音で叩かれる鼓動に痣の痛みが活気づく。それでも、私は彼に手を伸ばさねばならないと思った。
 腰を折りながら彼に近づき、倒れながら抱きしめた。もはや抱きついたと言った方が正しい。 この時、私の命の灯火が最期の力を振り絞って他の火種に引火させるがごとく、ぐったりとした青白の腕の中は燃えるように熱かった。彼の命は確かに燃え上がっていた。
 海を渡る遥か彼方にその姿はあれども、海を越える年月の遥か彼方、私の意中を断固離れない彼に金やら臓器やらなんでもくれてやるとゾッコンの私のことだ。彼の命を熱くするほど栄誉なことがあるものか。国民栄誉賞も舌を巻いた。
 だから、信じた。この海の向こうにあるハッピーエンドとやらを。

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